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『神楽』藤田湘子句集 ・雲水の疾風はやてあるきや百千鳥 ・春闌けぬをんなの耳を吸ふゆめも ・旅にして蛇見し時間ふくらめる ・三輪山が見ゆついついと蒲青し ・横浜の狸なりしが轢死せり ・学ぶ灯と雀の卵おなじ闇 ・水仙の花空白にかこまるる ・友情のごときふぐりと春深し ・老人は大言壮語すべし夏 ・あめんぼと雨とあめんぼと雨と ・胸痛きまで雪嶺に近く来ぬ ・何故といふのか木莵になりたしよ ・てんとむしだましと今日は怠くる日 ・筍の裸が水に昼ふかし ・雲立つと揚羽は卵産みにけり |
『昧爽』山田みずえ句集 ・いはれなけれど春闘をやや軽んじぬ ・大朝寝退廃に似てここちよし ・花御堂よつてたかつて屋根を葺く ・春風のスカーフ帝国ホテルかな ・眠れねば眠らず春夜去来抄 ・青かりし鴉の卵春休 ・稲妻のあと青年の来たりけり ・雛買ふは人買ふに似てたぢろげる ・昧爽の青ねこじやらし露じやらし ・蛇苺ちらりと我を睨みたる ・たまごつちこの目で見ずに秋立ちぬ ・春疾風耳朶はたはたと鳴りにけり ・青く透く鰄の力いただきぬ ・大暑の日は血が濃くなりぬ睡くなりぬ ・案山子どのに近づく山田みづえかな |
*『神楽』は藤田湘子の第10句集。1999年10月、朝日新聞社刊。2500円。作者は1926年生まれ。「鷹」主宰。作者にとって未知である老いに挑んだ句集だが、エロスとユーモアが魅力。 *『昧爽』は山田みづえの第6句集。1999年11月、紅書房刊。2600円。作者は1926年生まれ。「木語」主宰。昧爽という薄明の時空にいる作者の感覚が、独特の遊び心に結実した句集。 | |
藤田湘子と山田みづえはともに1926年の生まれ。当年73歳である。 湘子は水原秋桜子に学び、今は「鷹」を主宰している。代表句は次のようなもの。 愛されずして沖遠く泳ぐなり 筍や雨粒ひとつふたつ百 近づけば山あそびゐる春の暮 泳ぎの句のちょっと甘美な抒情、筍の句の軽妙な機知、春の暮の句の自然との融和、それらが、つまり、抒情、機知、融和がこの俳人の持ち味だ。 さて、70代という老境に至った今回の句集では、右の三つの特徴がいよいよ細かく自在になっている感じ。しかも大胆さとユーモアが加わって、「湘子さん、いい感じ!」と掛け声をかけたいほど。大胆さは「春闌けぬをんなの耳を吸ふゆめも」という述懐に、ユーモアは「横浜の狸なりしが轢死せり」などに如実。抒情も健在にしていよいよ深い。 学ぶ灯と雀の卵同じ闇 学ぶ灯と雀の卵を「同じ闇」においてとらえたことで、抒情の深みが増した。みづえは石田波郷門。正直に言えば、今回の句集まで、特に意識してこの人の作品を読む、ということはなかった。だが、句集『昧爽』は魅力的だった。薄明かりの昧爽という時空と、みづえの俳句世界がまさに重なって不思議にあやしい。 たとえば「稲妻のあと青年の来たりけり」は、稲妻が青年に変身にしたようなあやしさがある。「雛買ふは人買ふに似てたぢろげる」にしても、このように言われてしまえば、おそらく誰もが雛を買うときに躊躇するだろう。青年にしろ雛にしろなんとなく昧爽のあやしさを帯びている。 青かりし鴉の卵春休 春休みに鴉の卵を見た体験を句にしたのだろうが、私はまだ鴉の卵を見たことがない。それだけにみづえのこの句を知って以来、鴉の青い卵にあこがれている。 |