| |
『ポケット』小枝恵美子句集 ・たんぽぽはぴよぴよぴよ、ふうちゃんも ・天道虫の井戸端会議に出席する ・青年は観葉植物夏の月 ・舞の海ころんころんと豆ごはん ・蜘蛛もいてロックのCD聴いている ・赤ピーマン君とはずっと友達だ ・春の雲ぽこりと卵産み落とす ・枯れ草の根っこはたぶん火の匂い ・東風吹かばポテトチップス歩み来る ・赤ん坊のあくびが飛んで金魚草 ・春は曙梢はキスの匂いして ・曲がってる胡瓜が好きと茄子が言う ・月の村へ虫の顔して帰る人 ・湖は光の粒とかいつぶり ・てっぺんが好きソフトクリームジャングルジム |
『運河と水仙』伊丹公子句集 ・水仙に 音みな吸われ 修道院 ・カリヨンの 日昏れに死なむと レース編む ・飾られて ひとりぼっちの 王の腕輪 ・瞑想の魚と会う黒海料理店 ・遺跡の少年 神の名あまた諳そらんじて ・回廊蝉声 女神の指から 減りゆく光 ・夜の合歓降りづめ 舞踏の体温へ ・木靴工場の父に届ける 鳥の言葉 ・ジャコメッティの女身の錯綜 夏館 ・小学校に似合うのは 雪 音読など ・火の神のいる首里城の 夏の闇 ・旧東海道 血色フリルの百日紅 ・海底列車の窓にうつって 冬帽子 ・拾われた猫の加わる 雛祭 ・薄紙に透かした雛の眉 しまう |
*『ポケット』は小枝恵美子の第一句集。蝸牛社刊。1143円。「句集コレクション七つの帆」の一冊。作句を開始して6年目の新鮮で少し不思議な200句。作者は1953年生まれ。「船団」会員。 *『運河と水仙』は伊丹公子の第11句集。96年からの190句を収録。春陽堂刊。3000円。作者は1925年生まれ。「青玄」に属し、『通過儀礼』ほかの詩集を持つ詩人でもある。 | |
女の俳人が増えたのは1970年ごろから。そのころ、高度経済成長が一段落し、安定期に入った。子育ての終わった主婦たちが新聞社やNHKのカルチャー教室にどっとやってきた。そして、俳句人口の大方(今では8割近く)がたちまち女性になった。ともあれ、女たちの俳句が始まって約20年、あちこちに豊かな実りが見られるはず。 伊丹公子は70年ごろにすでにして注目の俳人だった。この人は「青玄」を主宰する伊丹三樹彦の妻であり、結婚したのも俳句が縁であった。女たちの俳句ブームに先駆けて俳句とのかかわりを持っていた。その公子の第一句集は1965年に出た『メキシコ貝』。私は「思想までレースで編んで 夏至の女」「ヒーローになれぬ脚組み 風の青年」「今年の青葉です 戦没学生像 照って」というような作品に心酔していた。彼女の句にちなむ「風の青年」という小さな詩誌まで発行した。ついでだが、私にとっての俳句の師匠はこの当時の伊丹公子である。 『運河と水仙』はその公子の第11句集。この句集のベストワンは次の句。 瞑想の魚と会う黒海料理店 トルコに旅したときの俳句のようだが、そんなことにはかかわりなく読める。つまり、黒海料理という料理店で瞑想の魚と会った句として。それにしても、『メキシコ貝』以来、この人のちょっとだけ非現実的な言葉の世界は不変だ。女たちの俳句は右の公子などを先駆けとして始まったが、その顕著な収穫のひとつに小枝恵美子の俳句を挙げてもよい。 月の村へ虫の顔して帰る人 たとえばこの句のおかしさはどうだ!しかも虫の顔をしたら月の村へ行けそうな気もする。月の村といい、虫の顔といい、ちょっとした非現実だが、そのちょっとした非現実の作り方が抜群にうまいのだ。しかもユーモアが馥郁と漂っている。 |